年間第11週・火曜日 92 世の中における聖性

― 普遍的な聖性への招き。 ― 生活している所で聖人になる。「神秘主義夢想家」。 ― あらゆる環境は、聖性を深め、実り多い使徒職を繰り広げるのに良い場所。

年間第11週・火曜日

92 世の中における聖性

― 普遍的な聖性への招き。

― 生活している所で聖人になる。「神秘主義夢想家」。

― あらゆる環境は、聖性を深め、実り多い使徒職を繰り広げるのに良い場所。

92.1 聖性への普遍的な招き

聖書全体は、聖性、愛の完成への呼びかけです。イエスは、今日の福音で、それを明らかにしておられます。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。キリストはこの言葉を使徒たちや彼に従う者だけではなく、すべての人に述べておられています。聖マタイは、この点を、群衆がその教えに非常に驚いたという言葉で締めくくっています。イエスは付き従った弟子たちだけでなく、自分に近づくすべての人、つまり、主婦、労働者、物貰い、足の不自由な人などを含む群衆に、聖性を要求されます。主は、身分、人種、立場を区別することなく、ご自分に従うように呼びかけておられます。キリストは、私たち一人ひとりに話しかけておられます。近所の人々に、会社や同業者団体の仕事仲間や友だちに、通りですれ違う人々に話しかけておられます。完全でありなさいと主は言われます。そして、完全であることを可能にする手段と相応しい恩恵を私たちに与えます。これは、主からの忠告であるだけでなく、避けることのできない命令です。教会の中においてすべての人は、聖職位階に属している人も、司牧されている人も、皆、聖性に招かれています。使徒たちの言葉、「あなたの聖化は神の意志であるからです」(1テサロニケ4・3)にあるように、すべてのキリスト者はどんな身分や地位にあっても、キリスト教的生活の完成と完全な愛に召されています。 キリストの教義では、彼らは平凡さに招かれているのではなく、英雄性、愛、朗らかな犠牲に明らかに招かれています。

愛は、子どもや、長い間病院のベッドに縛り付けられている病人、ビジネスマン、超多忙な医者、などの手の届く範囲にあります。聖性は、愛の問題、恩恵の助けによって主に近づく努力の問題だからです。私たちは、その喜びと陽気さ、その苦しみと悲哀をすべて含めて、人生に新しい意味を与えなければなりません。聖性には、慣れ、生温さ、のんきな世俗的な態度への戦いが必要です。聖性には、私たちが出会いそうにもない並外れた状況ではなく、毎日の目立たない義務において、仕事に対する継続的な忠実さが要求されます。

今日の典礼では、3世紀の聖チプルヌスの言葉が使われています。彼は3世紀のキリスト者にこう話していました。「愛する兄弟たち、神を父と呼ぶからには神が私たちを見て喜ばれるように、神の子のように振舞わなければならないことを理解し、覚えているべきです。神の神殿である人々に相応しく振舞いましょう」。彼はこう言っています、「わたしが完全であるようにあなたがたも完全でありなさい。そこで、洗礼によって罪から清められた私たちが、毎日さらにもっと自分が神聖化していくように願いながら、最初のこの聖性を保つことができるように、神に乞い願い、祈ります」。日々あなたをもっと愛することが模範的にできるように、聖化への生き生きした望みを与えてくださるように、主である神に懇願します。あらゆるところにあなたの教義を広めるのを助けてください。

92・2 どこにいても聖人になること

主は、生温い生活と冷淡な奉献を喜ばれない。「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」。また、主は、試練と矛盾を経験することを許され、ご自分のものを聖化されます。錬金術師が金を繰り返し打つなら、その中の不純物を取り除くことになります。高価な金属が繰り返しすり減らされるなら、それを輝かせることになります。炉は陶器を試します。人は艱難で試されるのです。 神がお許しになる苦しみはすべて、それが身体的なものであろうと精神的なものであろうと、霊魂を清めるため、そしてもっと多くの実を結ぶために役立ちます。すべてはこのように常に天国の恩恵であると考えなければなりません。

すべての時が、聖性に深く入るのに相応しい時です。すべての状況が、神をもっと愛する機会です。なぜなら私たちの内的生活は、植物と同じように、自分が置かれている環境にある食べ物を食べるからです。成長させてくださるのは聖霊の働きです。植物は、それが育つ土地を選びません。種まき人が種をその地に蒔きます。そこでは雨水の助けによって土壌の有益な養分を、穀物を熟させる物質に変えます。また、そのようにして蒔かれたものは成長し、強くなります。

さらに多くの理由によって、私たちは強く成長していきます。それは、地を選び、私たちが実を結ぶために必要な恩恵を与えられたのは、神である父だからです。主が、私たちを植えられたこの地は、何にもまして私たちがその一部である特別の家族です。私たちは、最初はすぐ傍にいる人々の間で、彼らの徳やその欠点、独自の考え方に影響を受けて育ちます。私たちにとって土地とは、私たちと仕事仲間、クラスメート、近所の人々を聖化するための愛すべき仕事のことです。私たちが聖性の実を結ぶべき土地とは、私たちの国、地域、市、町、社会的、政治的組織、自分の生活状況であり、他にはありません。あらゆるキリスト教的徳を実行することができ、またしなければならないのはここ、この環境、世間の真っ只中です。ここで私たちは徳を実践していくのに必要なことを行うことでその徳を身につけていきます。徳の発育を妨げたり、枯らしたりしてはいけません。神は、すべての状況の中で、人々を聖性に招かれます。即ち、戦争や平和、病気や健康、勝利を味わっている時、あるいは反対に予期しない挫折に直面する時、たくさん時間がある時、あるいは必要なことを行うのにかろうじて時間があるように思われる貴重な時、いつでもどこでも招かれます。主は、私たちが聖人であることを望んでおられます。恩恵に頼らず、物事をいつも人間的な見解で見る人たちは常にこう言っています。今は、聖化のために相応しい時ではない…、後で、多分…。

他の場所や他の状況なら、主にもっとしっかりと従い、もっと実りの多い使徒職を行うつもりがあるなどと考えないようにしましょう。雲をつかむようなことを待ち望むのは止めましょう。主が期待する聖性の実りは、疲労、病気、家族、仕事の同僚、学生仲間など、私たちが今いる環境の中から生じるのです。「誤った理想主義や空想、私がいつも〈ないものねだり〉と呼んでいる状態、結婚していなかったら、こんな仕事についていなかったら、もっと健康であれば…、若ければ…、年老いていれば…、などと夢想することはやめましょう。 そのかわりに最も身近にある現実に、本気で真面目に向き合いましょう。そこは主がおられる所です」。そこは、身近に見出すこのような機会を正しく役立て、その中で神に対する私たちの愛が成長し発展させなければならない環境なのです。その機会を逃がさないようにしましょう。イエスが私たちを待っておられるのはまさにそこだからです。

92.3 すべての状況は、私たちが聖性に成長し、実りある使徒職を行うのに役立つ良いものです

単なる人間的な見方で生活を見れば、聖性に成長し、実りある使徒職を行うには、確かに都合の良くない機会と状況もあるように思えるでしょう。旅行や試験、仕事が過度に忙しい時、疲労困憊、落胆の時を考えてみましょう。または、辛い状況、異教的な雰囲気の中で行われる微妙な専門的な決断、中傷的な宣伝はどうでしょうか? このようなことは、日常生活の中でもよく起こる瞬間です。適度な成功と時折起こる失敗、幸福感にひたる時や良くも悪くもないごく普通の健康状態の時、喜びと悲しみ、そして重要な心配事で心が痛んでいる時、裕福な時も困窮の時も、私たちの主は、このような機会をすべて聖性と使徒職の機会に変えるよう私たちに望んでおられます。

このような時に、私たちはより注意を払い、日々の個人的な祈りにもっと努力を投じるでしょう。必要であれば、私たちは常に時間を見出すことができます。愛があれば必要ならば時間はうまく作れるからです。聖体におられるイエスを訪問すること、聖母と付き合うこと、実にこのような事柄を行う時は、より助けを必要とする時です。祈りと秘跡の中に必要とする助けが得られるでしょう。その時こそ、徳は強められ、内的生活全体は円熟する時なのです。

使徒職を続けるために、特別な状況を待つべきではありません。どんな日、どんな時でも相応しいのです。最初のキリスト者たちが好都合な機会を待っていたとしたら、ほんの僅かな人しか改宗に導くことができなかったでしょう。この仕事は、常に、大胆さと犠牲の精神を要求します。「労苦している農夫こそ、最初の収穫の分け前にあずかるべきです」。努力と人間徳の実行が必要です。使徒職は特別なやり方で堅固さを要求します。使徒聖ヤコブは言っています。「兄弟たち、主が来られる時まで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです」10。また、堅固さと共に、たとえ私たちがその実りを自分で見ることができなくても、惜しみなく、自由に、寛大さを蒔くべきです。私たちの蒔いたものを、誰か他の人が刈り入れるでしょう。

聖母に、今、自分がいる環境で、聖性への効果的な熱意を願いましょう。より好都合な機会を待たないようにしましょう。その機会はありません。今が、心のすべてをあげて、存在のすべてをもって神を愛するために最も好機で相応しい時です。

マタイ5:48

マタイ7:28 参照

第2バチカン公会議,教会憲章,39

第2バチカン公会議,教会憲章,40

Divine Office, Tuesday of the Eleventh Week, Second Reading

ヨハネ15:2

St Peter Damian, Letters,8,6

Conversations with Monsignor Escriva,116

2テモテ2:6

10 ヤコブ5:7-8